back_to_top

8. 学生の期待と現実

〈立花氏、再登壇〉

この資料の「学生のアンケート」のところがものすごく面白いんです。それは具体的には15ページから41ページにかけてのところで、学生が教養教育についてどう思うかとか進振りに関してどう思うかといったことがたくさんでてきます。そこをバーッと読んでいくと本当にすさまじい不満がありまして、その相当部分が、今の学生の解説の中にありましたように、「進振り」絡みなんです。それで専ら駒場の教養教育がうまくいっていない原因として、進振りを頭に置くと、理解しやすいことが多いんです。要するに点数を稼がなければ自分の行きたいところへは行けないわけですね。そこに熱中してしまうわけです。先ほど話にありましたように『逆評定』の「大仏」(注:「おおほとけ」と読む)なんていうところにみんな集中してしまうわけですね。だから、学生が教養を身につけたいと思う視点から一つ一つの科目を選んでるのではないんです。自分が行きたいところへ有利に行くにはどうしたらよいか、というところで作戦を立てて科目を選択するのですね。その結果実際に学生には教養を身につけるということがこの学部の最初の構想であるという意識はまったくなくて、先ほどの話にありましたように進振りの試験とか、あるいは要するに東大生というのはある意味試験の勝ち残り組ですから、どこかで「試験中毒」みたいになってまして「次の試験は何だ」という感じで自分の将来を考えちゃうんですね。自分が本当にどういう教養を身につけることが大事か、という視点から科目選択を考えている人というのは本当に少ない。それで先ほどの破産状況というのが生まれているわけです。

南原さんの『回顧録』を読むとわかるんですが、南原さんが、この駒場の2年間に相当するような期間、ゆとりを持って人間性を伸ばさせるためにある意味で「遊ばせる」ということを挙げたのは、何より旧制の高等学校にそういう要素がものすごくあったからなんです。旧制の高校を卒業すると日本中にある帝国大学のどれかに入れるんです。もう入れること自体は決まってるんですね。で、多少、どこの帝国大学のどの学科というところで調整の必要はあるんですが、基本的には、どこかの帝国大学の自分の行きたい所に行けるっていう安心感があるものですから、旧制高校の3年間は皆精一杯遊んだそうです。精いっぱい遊んだその中で、人間性を伸ばすように時間を過ごすことができたというわけですね。それでその時に、どういうことでそうなったかというと、旧制高校の授業の中じゃないんです。授業でなにか試験をやって点数を取ることではなくて、その旧制高校3年間の生活全体を通してなんですね。そういった要素というのが、今の大学のキャンパスから全く欠けてますね。どうなってるかっていうと、さっき言ったように、点取り虫になっちゃって、先ほど彼が言いましたように、高校4年生みたいな、そういう生活状況になってるわけです。ということがありまして、こういう状況を見ていると、将来どうなるのかなという気がします。

大学教育の一般的イメージ
  1. 無教養人
  2. ↓(教養教育)
  3. 教養人
  4. ↓(専門教育)
  5. 教養ある専門人
  (そして社会へ)

しかし、現実は…中途半端な教養と中途半端な専門知識しか持たないのにプライドだけは高い東大卒業生(鼻つまみ)

全体的にどういう流れがあって、どういうずれがあるかといいますと、基本的には大学教育の一般的イメージっていうのは、大学生自身もこういうイメージを持っちゃってるわけですね。教養学部というのがあって、そこに入ってくるのは、無教養な高校卒業生です。それが教養学部の門をくぐって通り抜けると、教養人になってですね、教養人になってから専門教育に進んで、専門教育を通り抜けると、両方合わせると教養ある専門人になって、それが社会に供給される、基本的にはそういうイメージなんですが。でも現実はどうかというと、実は教養の部分がものすごく中途半端な中身になってまして、専門教育もものすごく中途半端なことになってるわけです。

学生の期待と実際

学生「カリキュラムに従って単位をとれば教養人にしてもらえる(何か得るものがある)」

大学側「それは学生の甘えである」

  • 大学はインフラ
  • 大学を利用して自分を教養人に育てられるかどうかは、本人の意思と能力と努力次第

それで先ほど言いましたように、学生はカリキュラムに従って、単位を取れば教養人にしてもらえると思ってるんですね。でもそういうもんじゃないんです。大学の考えは、僕の考えでもそうですが、大学というのはただのインフラです。それを利用して自分を教養人に育てられるかどうかは、自分自身の意志と能力と努力次第なんですね。ところがここで教養を身につけようという意志そのものがないと教養なんて全く身につきません。ところが学生の大半は、先ほどの学生の説明にありましたように、要するに進振りでどこに行くか、自分が行きたいところに行けるかどうか、そこでして、そのためには点数が一番重要という制度になってますから、そうすると点取り虫にならざるをえないんです。点取り虫になろうと思ったら先ほどの「崖の上の大鬼」で点の取りやすい授業を探してですね、そこの授業をとるみたいな、そういう感じになってるわけです。そういう感じで、今の東京大学の教養教育っていうのは大変な問題が起きてるわけです。