長崎市長銃撃事件

4月18日、凶弾に倒れた伊藤一長(61歳)・長崎市長。
逮捕されたのは、暴力団組員だった。
ここは、この事件について思ったことや感じたことを、
自由に発言するスペースです。

はじめに

 昨日(4月18日)、今学期はじまって二度目のゼミがあった。これからこの「見聞伝(Ken Bun Den)」のページ作りに参加することになった約30名の学生で、何をテーマに取りあげるか、ブレインストーミングを行った。

 第一回のゼミで、全体を四つの班に分け、「各班、10のテーマ案を出すこと」ということが宿題になっていた。それを各班とも黒板に全部書き出して、その内容を叩き合うことで、ブラッシュアップすることにした。それとともに、すぐに行動に出られそうなものは、テーマ別にチームを作って、すぐに取りかかろうということになった。

 そのとき提出されたテーマ案の中に、今回の伊藤一長・長崎市長射殺事件(昨日の段階ではまだ撃たれただけで死んではいなかった)をなんとか取り上げてみたいという発案が二つの班から出ていた。

 そのときは、まだ事件の大きさがよく見えず、今後の展開もわからなかったので、とりあえず、そのテーマは次回に持ちこして再検討ということになった。

 ゼミが終ってから、帰り道、栄田康孝君といっしょになり、実は栄田君が長崎の出身で、この事件に特別思い入れが深いということがわかった(実は私も長崎出身だからこの事件に思い入れが深い)。「中学、高校と長崎市内を通学していて、任期の長かった伊藤市長のこともよく知っており、国内外に積極的に出向いて世界平和を訴えてきた市長の姿が、大変印象深かった」という。

 それだけ深い思い入れがあるなら、ぜひとも栄田君を中心にこの事件のページを作ってもらおうと考えた。この事件にいろいろな思いを寄せている人が沢山いるにちがいない。長崎の地元には沢山いるだろうし、東大の学生の中にも、あるいは日本中のあちこちに沢山いるにちがいない。

 まずは、そういう思いを誰でも書きこめるページを作ろうということである。

 いろんな人のいろんな思いが集積されていくうちに、次に何をしたらいいのかがきっと見えてくるにちがいないと思う。

 私がこの事件で直感的に感じたことは、歴史の教えに従うと、政治の世界にテロが入り込むと、日本の社会はどんどんヤバクなっていくということだ。戦前もそうだったし、戦後もそうだった。テロが起きたときいちばん恐いのは、それによってもたらされる恐怖心から人々がいうべきことをいわなくなってしまうことだ。人々がいうべきことをいわない社会は、容易に狂いだすのだ。いま必要なのは、とりあえず、どんな一言でもいいから、この事件に寄せて口を開くことだ。みんな自分の思いをどんどん書いてください。

2007年4月19日 立花 隆


強い憤りと情けなさ

 私は長崎で生まれ、高校までの18年間を長崎で過ごしました。人々はおしなべて穏やかで温かく、私にとっては自慢の故郷です。太平洋戦争末期に原爆が落とされた場所ということもあり、長崎では小学校の頃から平和教育を受けます。今も続いているかはわかりませんが、原爆が投下された8月9日は夏休みの登校日となっていて、原爆投下時刻の午前11時2分にはサイレンにあわせて全校生徒で黙祷をしていました。

 その日、長崎市の平和公園で平和祈念式典も開かれます。その席上で必ず挨拶するのが、長崎市長です。

 私にとって、長崎市長といえば伊藤さんでした。任期が長く、私がもの心ついた頃には既に長崎市長を務めていました。
 伊藤市長は県内のニュースなどでしばしば目にしていました。長崎市の水源地の汚染などで追及されたこともあり、私の中では必ずしも良いイメージだけが先行していたわけではありません。しかし、平和祈念式典において米国の政策に断固反対するという趣旨の宣言を堂々と読み上げるなど、被爆地の市長として、伊藤氏は世界へ向けて平和を訴え続けました。
 思い返せば、世界平和に暗雲がたちこめている今日、伊藤氏は大変頼もしい人でした。

 私は、今回の銃撃事件について憤りを覚えると同時に、このような事件で長崎が取り上げられることをとても情けなく思います。しかし同時に、世界が平和になってほしいと強く思うようになりました。そして長崎も、かわらず世界平和の発信基地であり続けるでしょう。

 最後に、任期中黙々と平和を訴え続けた伊藤市長に心からお疲れ様と言いたいです。

2007年4月19日 栄田 康孝
東京大学教養学部1年 長崎・青雲高校出身


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